出したものが返ってくるとか、奪うを出したら奪われるが返ってくることを、このサイトではお伝えしています。
でも、”だからといって、相手に何も見返りを求めてはいけないということではない”のです。
むしろ求めて良い。求めて良いのだけど、奪うではない。
『???』と感じさせてしまうかもしれませんが、ここを腑に落とせるよう、今日はここの部分の解説をします。
奪うを出すと返ってきてしまう
私たちが無意識でよくやってしまうことに、
- 愛してほしい
- 選んでほしい
- 私の事だけ見てほしい
- 1番にしてほしい
- 特別扱いしてほしい
という思いがあり、それを相手に求め、してもらえるように、という意味で愛してもらえるように、自分を犠牲するという時があります。
これが時に、あなたにそんなつもりはないとしても、よーく見てみると、コントロールだったりすることも少なくないんですね。(これはだからあなたがいけない、ということではありません)
どうしてこれをサイトでよくお伝えているかというと、この世は”出したものが返ってくる”という法則があり、
- 愛してほしい
- 選んでほしい
- 私の事だけ見てほしい
- 1番にしてほしい
- 特別扱いしてほしい
↑を出してしまうと(それを出している自分に気づかないまま、その思い(エネルギー)を乗せ続けてしまうと)コントロールや支配、奪う、というエネルギーとなってしまい、そのエネルギーと同じものが返ってくるようになり、結果としてうまくいかない、となってしまうからです。
だからこそここに気づいていくことって、とても大切なのです。
正当な対価を受け取って良いとは
でね、今日お伝えしたいことは、”だから見返りを求めてはいけないということではない”ということです。
『え、見返りを求めるのは、奪うエネルギーなんじゃないの!?』と感じた方もいるかもしれません。
これはどういうことかというと、私たちは、親との関係性の傷や、痛みゆえに、
- 愛してくれない人
- 奪っていく人
- ずるい人
を相手にしてしまうことがしばしばあります。
その相手に、どうにか愛してもらおうと振り向いてもらおうと、コントロールしたくなっちゃうんですね。
(ヒント:”やっと振り向いてもらったを叶えたい”)
そもそも、人と人とは、
- 助け合ったり
- 与え合ったり
- 補い合ったり
そういった”相互依存”の関係の中で、お互い快適に幸せを感じながら生きていけます。
でも、ここのやり取りの中で、
- 奪うばかりで与えない人
- 都合よく利用してくる人
- 奪うためにコントロールしてくる人(こちらばかりが動かないといけない)
というような人が相手だったからこそ、”それをしてもらうには(たとえば愛してもらうとか、与えてもらうとか)、コントロールしようとしないともらえない”、となっていたわけで、本当は、
- あなたの本来持っている優しさや
- 思いやりや
- 慈悲の思いや
- 愛情は
同じものを返してもらって良いのです。(同じような優しさや、思いやりや、慈悲の思いや、愛情を返してもらっていい。そうやって与え合っていい、ということです。)
これは、矛盾っぽく聞こえたり、『欲しいとなってはダメなんじゃないの』、と感じさせてしまうかもしれませんが、そうではなくて、言葉にすると難しいのですが、
”欲しいとコントロールする(相手にこちらが望むように動いてもらおうとする)”と望んでいない方向に向かうのは確かです。
でも、あなたの愛や優しさや思いやりを
- ありがたい
- 感動
- 嬉しい
- 喜び
- 感激
- 癒し
として受け取り、
- 自分も返したい
- 自分はこれを返したい
- これを受け取ってほしい
というような、あなたの思いやりや優しさや愛情をちゃんと受け取り、そこに対して返してくれる人もいる、のです。
↑ここを、受け取って良いのです。
分かりやすくいうと、相手に対して『こうしてよ、こうしてほしい!』という思いの元で相手を変えさせようとすると、”奪う”になってしまうけど、
そもそも、最初からこちらも与えて、相手も与えるというような、助け合い、補い合い、与え合いができるような人の世界を、あなたは選んで良いのですよ、という意味で、見返りを求めて良い。
一方的に、こちらとしても、”こうしてほしい”があって、それをしてもらうために相手に与え、そこに見返りを求めると、奪うになりかねないけど、
でも、そもそも、与え合える人を選んで良いという意味では、あなたの思いやりや優しさや愛情を大切に受け取り、返してくれる世界をあなたは選択して良い、という感じです。
と、いう意味での、”見返りを求めて良い”ということが、伝わるでしょうか・・?
奪うはよろしくないけれど、かといって、あなたの思いやりや優しさや愛情を、見返りなく出し続ける、ということもしなくて良いし、そういうことではないのです。(それこそずるい人が寄ってきてしまいます。)
むしろ、それだけたくさん辛い思いをし、我慢をし、他者のために生きてきたあなただからこそ、もう受け取って良いのです。
ここの入り口を開けて、もう、受け取るようにしていくと良いです。
そういう意味で、”あなたは正当な対価を受け取って良い”ということです。
なんとなく伝わりますと嬉しいです・・!
与え合う世界をあなたが選んで良く
あなたの愛や優しさや思いやりを
- 心から喜び
- 愛として受け取り
- そしてそれを返したい
という人もすでにいる、というこの入り口を開けてください。
あなたもここの入り口を開けておかないと、こちらとしても”与えた先にやってもらえる”という、見返りベースの与えるを続けてしまいます。
- 欲しい
- 愛してよ
- これだけしたんだから
となるのではなく(その自分に気づき、その自分を存在させながら)、あなたの本来の優しさや愛や思いやりに対して
- 自分もその思いや優しさと同じように返したい
- 受け取った分与えたい
と、与え合える世界や人間関係を、あなたはもう選択して良いのです。
与え合わず、奪っていく人ばかりにフォーカスし、その人を変えようとしても、苦しみが続くだけです。
また、変えようとすればするほど、相手は変わらないが起きます。
そうではなく、あなたがあなたの人生のハンドルを握り、どのような世界を選択していくのかを決める。
それだけでも、変えようと苦しみ続けることを終える、となるので、ずいぶんと幸福度が変わります。(本当に)
まとめ
いかがだっただでしょうか?
要は、相手に”こうしてほしい”という意味で与えるをし、その見返りとして相手が変わること待ったり、望む反応を待つとなると、それは奪うとなってしまう。
けれど、そもそもこちらも与え、相手もこちらの思いを受け取り、返してくれる、というような、”与え合う世界”を選んで良い、という意味で、見返りを求めて良いし、正当な対価を受け取っても良いのです、という感じです。
あなたの優しさや思いやりは、大切にしてくれない人に与えるのではなく、愛ある世界に広げていきましょう。
そうしていくと、あっという間に世界は変わっていきますよ。
参考になりましたら幸いです。