私はずっと、なんだか自分のひらめきや、わいてくる感情に自信がありませんでした。
こう感じたとしても、理解されないし、意味分からない、とされるであろう。
だからこそ、”理解されるようなこと”を言わないといけないし、”理解できるようなことしか”言っちゃいけないってなっていたんです。
でも最近、改めてそれを超えた気がします。
なんか、『あ、あんがい私が感じたものは、後から人が発信しているものなんだ』とか、
『あ、これいってよかったんだ』とか、『あ、あの時の違和感、あってたのか』みたいなことが、よく起きたのです。
だから、私こう思ったんです。
『どんどん言っちゃって、発信しちゃって、良いんだ。もっと、本当の自分で発信して良いんだ。”待たなくても。”』って。
そう、待たなくても良いんだって。何を待つの?という感じですが、今言っても理解されない、みたいなのが、なんかずっとあったんです。
でも、そのまま『発信して良いんだ』が私の中で起きて。だから、そうすることにしまして、最近のひとりごとがあります。笑
誰かに理解されないとしても、??となったとしても、誰かからしたらそれは違う、となったとしても、私が今にいたるまでの気づきや、学んできたこと、今現在で起き続けている気づき、学び、そして私、から降りてくる言葉は、今もう出して良いんだ、となったのです。
出し惜しみしたり、後から発信、するより、今この瞬間から、わいてきた光を出し続ける。
これが、誰かの光となればいいな、みたいな感じになったのです。
なんか、それでいい気がしたのでした。