優しい人。
優しいとは何か。
ここでは普段の優しい、とはまた違う、優しい、のお話をします。
とても深い無意識のお話。
なんとなくで、読んでいただけたらと思う。
いつしかの私は、自分のことをすごく優しいと思っていたし、よく、優しいとか、優しすぎる、と言われてた。
実際に優しい、のだと思う。
優しい人は、奪いたい人に、奪わせてしまうところがある。
優しいから、心が綺麗だから、ガツンと反応してしまう。
あの人は綺麗で、あの人は汚い、とかそういうことではなくて。
人は時に、自分の傷があまりに深い時に、誰かが絶望しているところを見ると、癒されてしまう。
たくさん我慢したり、分かってもらえなかったり、そういった取り残されて思いがたくさんあったり、それがあまりに大きすぎて、怒りや憎しみ、になっていたりすると、誰かが自分と同じような絶望を味わった時に、癒される時がある。
これは、心からの、癒しではなく、死にそうな自分の心が少し救われるような、感覚。
これだけの思いをしてきた自分が救われるような、感覚。
これを、優しい人は与えてしまう。
相手の自分への突き落としに、絶望して、悔しがったり、悲しい!!と激怒したり、そして相手は、それを楽しむ。
そしてまた、絶望をする。
この、絶望する側は、優しいがとくに深い人。
とっても深い無意識では、その絶望より、いくつかの人の命を救っているかもしれない。
優しい人は、時に、強い。
突き落としに成功する人は、弱く、はかなく、優しい人より、耐えられない。
とても理不尽なお話かもしれない。
でも、こうやって魂の学びは行われていたりする。
いつしかの私はずっと、自分を優しいと思っていた。
でも、あの時の私は、他の優しい人、にはあまり興味がなかった。求めていたはずなのに。
『絶望的な人生。どうして、私だけがこうなる。なんて理不尽なんだ。』
と、長い間思っていたけれど、振り返ると、私も突き落とし、をしたことがあったり、優しい人、を蔑ろにしたことがたくさんあった。
優しくない人を大事にしようとし、優しい人を、蔑ろにするところがあった。
顔色を読み、気を使い、好かれようとしなくて良い相手。
私に好意を持ち、歩み寄ってきてくれる異性。
そんな相手に私は、いつしかの傷ついた邪悪な私を出してしまうことが多かった。
なぜかそういう相手にほど、試してしまったり、傷つけたりしてしまう。
相手は、私よりも、優しかったということ。
私は優しい人に、攻撃をしていたし、復讐をスライドさせていたことがあった。
優しいとされる、私でも。
あの時の私には、そんな自分の姿は、見えていなかった。
優しい人。
優しい人ほど、憎しみを引き受けてしまったり、私達は自分よりも優しい人に、憎しみを出してしまう。
優しい人にほど、大切にしなくなる。
いつしかの傷ついて怒っている自分の、甘え方、なのかもしれない。
憎しみを出せるのは、甘えの一つなのかもしれない。
良いか悪いかの話ではなくて、です。
ちょっと違う視点からの、お話です。
この、引き受けてしまう自分の奥行き、出してしまう自分の奥行き、両者の痛みを見た時に、また人は超えていけるのです。