本当の幸せとはなんだろうか。
本当の幸せな恋愛とはなんだろうか。
自分と対話し、内観を続け、ずいぶんと見える世界が広がった。
そんな私の、感覚的なお話をします。
私は俗にいう、毒親育ち、機能不全家族、アダルトチルドレン、などにとてもご縁がある人生だった。
だからこそ、物心つく頃から、”お友達の家族が羨ましい”という気持ちがあった。
自分のお父さんは恥ずかしい、という気持ちも強烈にあった。
友達が羨ましくてたまらなくて、〇〇ちゃんや、〇〇ちゃんの家族と自分は違う、羨ましくて憎くて悲しい、と、ずっと思っていた。
他の人が、他の家族が、幸せそうに見えてしょうがなかった。
世界で私だけ惨めで、外れ人生で、諦めないといけない人生、と幼稚園くらいから思っていた気がする。
それは学生になっても続いて、家に居場所なし、むしろ絶望的、心のよりどころもない、と、藁にもすがるように依存先を探しながら、ぐちゃぐちゃな恋愛、人間関係を繰り返しながら、その時も、お友達、は彼氏と幸せそう、家族と平和そう、に見えて、このぐちゃぐちゃな真っ黒の殺意のような憎しみを理解できないんだろうな(知らなくて良い人生だったんだな)、というくらい、平和に見えていた。
だからすごく、何回も、内側にも、外側にも、殺意が芽生え、それをこらえるのに過食をしていた気がする。
私は、摂食障害でもあったし、過食は、屈辱や悔しさ、とりのこされた怒りや悲しみ、理不尽な扱われ方、などから芽生えた殺意や、様々な思いを押し殺すためのものだったと、今だからこそ感じる。
摂食障害については、自分が長い間たくさん苦しんできたからこそ、これから発信していきたい。
で、話を戻して、何が言いたいかというと、とにかく私は、いつになっても周りが羨ましくて、幸せそうに見えた。
『誰にだって悩みはあるよ』この一言がすごく、嫌いだった。
この一言で、誰かさん以上の苦しみや、辛さを体験してきた自分を消されてしまう気がして、自分以下の苦しみの人(と感じる人)が肯定される気がして、またそれに対しても怒りがわくのだった。
そんな私、だったのだけど、自分との対話を続け、内観を続けた先に見える世界が変わった。
今からお話する話は、私の負け惜しみ、誰かへの不幸落とし、のように聞こえるかもしれない。
でも、そういうわけではなくて、あくまでも、客観視、俯瞰した先に見えてきたものをお伝えします。
私以外の人は幸せだと思っていたけど、誰もが、幸せになりたい、と常に思っていて、負の感情を隠し、無かったことにし、見ないようにしながら、幻想の中を生きている。
これは、その人たちの幸せを否定しているのではなく、案外、誰もがそう生きているんだ、と感じたことです。
私、タイプの人。
いわゆる、家族の中で一番劣等フラグが立っていたり、誰かみたいに生きられない、理解されない、と、生き辛さを強く感じていたタイプ。
このタイプは、自分は不幸、と感じやすいし、実際に人生があまりにハードだった、ということが多々、だと思う。
そして、幸せそうに見える人、の中にも、いくつか分類されることをある時に知った。
自分ほどの強烈な排除されるような経験、屈辱、絶望的な扱い、負け組のような感覚、が無いにしても、”とてつもない痛さと傷と悲しみと怒りを隠し持ちながら、幸せそうに見える人”、というジャンルを見つけた。
これは分かりやすくいうと、小学校の時のいじめる側の理不尽な子たち、というと分かりやすいかもしれない。
逆説的にいうと、私達は、いじめられる側、屈辱側、ともいえる。
この、勝ち組のように見える人たちは、人間関係ぐちゃぐちゃ、恋愛ボロボロ、結婚したいのにできない、2番目になってしまう、という私タイプのようなことは少なく、むしろ、他の人、と同じように生きれてる感を見受けられる。
学生時代は周りと変わらず恋愛をし、適齢期で結婚し、子供もいて家もある、みたいな、私タイプ側からすると、実に悔しく、なぜ?と思うような人生を生きている時がある。
でも、この勝ち組、に見える人たちもまた、心の中の傷やぐちゃちゃ感は、私達と同じなんです。
これこそ、表裏一体であり、根っこは同じ、なのです。
※だからといって、あなたがこの人たちのようにひどい、最悪、と言っているのではありません。
かつ、この人たちのことも否定しているのではありません。
そして、私達は、同じ傷を持つ者同士、この勝ち組に見える人たち、と引き合いやすい。
そしてまた、劣等感を刺激され、時にエネルギーを奪われ、勝とうとしてしまう戦いが始まったりする。
でも、この人たちの背景のぐちゃぐちゃを忘れてはいけない。
このたちの、メッキに惑わされて、あなたが自分の人生を生きられなくなってしまうことに、なってはいけない。
この勝ち組、に見える人たちは、私達タイプをエネルギーにします。
私達の悔しさ、負けてる感、をエネルギーにします。
でも、他、の人からは奪えず、むしろ、劣等感でいっぱい、となるのです。
私達が、この人たちと戦おうとしたり、勝とうとしても、その人たちが生かされ、エネルギーを与えてしまうことになってしまうんです。
でも、かといって、何をされても黙っていなさいとか、そういうことではありません。
私が伝えたいのは、あなたはあなたの人生を生きてほしい、ということです。
勝ち組、に見える人たちは、私達タイプが安心していること、平和を感じていること、幸せを感じていること、を許しません。
心のぐちゃぐちゃの傷ゆえに、そうなってしまうのです。
この人たちがいけないとか、だから本当は不幸、とかそういうことではなく、この人たちも、本当に幸せになりたいのなら、私たちタイプからエネルギーを吸うのをやめ、自分と向き合わないといけないのです。
そのためにも、あなたは、あなたの人生を送る必要があり、幸せになって良いのです。
自分との対話、内観を続けていくと、時に、この、理不尽でずるくて、ひどい!と感じるような人たちを鏡として受け取った時に、この人たちと同じことを誰かにやってやりたい自分や、どこかでやってしまっていたり、そんな無意識な自分と出会うことがあります。
その自分は、それをしたい、ちゃんとした理由やきっかけがあったのではないでしょうか。
そう、この人たちも、その背景には、それだけの痛みがあったのです。
深い痛みや傷を負った時、
- ずるい側、勝つ(ように見える)側
- 理不尽を受ける側・負ける(ように見える)側
に分かれる時があります。
この、先方のタイプは、一見、幸せそうに見えたり、普通の人生、を送ってるように見える。
でも、案外、そうでもないのです。
優越感、勝ってる、持ってる、みんなと一緒、を好んでいるはずです。
もし私たちタイプ、と感じた場合は、この相手と戦うのをやめるのが幸せへの一歩になります。
私達の人生は、どうしても、このタイプに戦おうとする人生を送ってしまいがちです。
でも、そこを抜ける、超越して下さい。
そのタイプではない、幸せそうな人、とも出会うことはできます。
あなたを引きずりおろしたり、あなたがなんだかモヤモヤしたり、悔しいと感じない人も、この世にはいます。
そちらの世界へ一歩踏み出してみて下さい。
これは、恋愛、お金、全てにおいて言える、根っこのお話です。
あ、あとは、このタイプを自分の無意識として受け取っていくのは、前提のお話です。
このタイプに勝ったり、心からの理解しあうことを幸せ、にするのではなく、あなたが本当に心から幸せという環境をあなたが自由に選択していくことが、あなたにとっての本当の幸せなのです。
これが、親を超える、幸せな現実を叶える、方法の一つです。