様々なケースがあるけど、その中の一つのお話。
自分の中の1番の傷は親、家族、身内、小さい頃のあの人、だったりします。
やっぱり1番は親、兄弟、家の中にいた人、幼少期自分を育ててくれた人、です。
その時の傷、が私達の世界を創り出す。
それは繰り返されるように、幻想を生きるかのように。
その傷をベースとして、です。
でも、私達は、ここの傷を1番見たくありません。
この傷は、1番見たくなくて、1番逃げていたいのです。
で、時に人は、この傷を見ないように、”違う問題を外側に持ってくる”という時があります。
それは学校、バイト、職場、相手の家族、など様々でしょう。
これはとても深い無意識なので、こういうお話を聞かない限り、気づけないものです。
(聞いたとしても、だいたいの人は『?』となるでしょう)
だからこそ本人とっては、あの時の傷を忘れるくらい、今が問題、となるわけです。
今が絶望的、どうしてこうなるんだ、と苦しみながらも、あの時の傷は見なくてすんでいる。
これは、今苦しいと感じているあなたを否定しているお話ではありません。
それを前提に、なんとなあく、興味があったら読み続けてください。
そうやって、時に人は違う問題をひっぱってきて、1番見たくないものを見ないようにします。
それくらい、あの時の傷は、見たくなくて、痛いと感じるもの、なのです。
人によっては、ずっと避け続ける、という人もいるでしょう。
人によっては、追い込まれて見ざるを得なくなった、という人もいるでしょう。
どっちが良いとか悪いとかもなくて、双方お役目があり、やること、があるものです。
学び合い、という愛。
で、この時、ずっと見たくないものを避け続けらている(ように見える)人というのは、誰かの犠牲によって、あの時の傷を見なくてすんでいる、という時があります。
それは、犠牲ともいったり、大きな優しさともいえるでしょう。
例えば、俺は劣等感の塊で、死にたくなるような人生だったけど、今は可愛い奥さんもいて、陽キャの塊のような息子がいる。
陽キャの息子は、学校中の人気者で、運動神経も抜群。俺とは大違い。俺の理想のようだ。
もう1人の息子は、学校も嫌がっているし、日々やる気がなさそうだ。まあ、なんとかなるだろう。
奥さんは奥さんの実家が大変そうだ。お義父さんがもともと俺様で、最近認知がひどくなってきて、いうことを聞かなくて、そんなお義父さんの世話をしているお義母さんから、いつも愚痴を聞かされる。
でも、俺は仕事を良いところに勤めているし、年収も良いし、立派な一軒家もある。
毎晩帰ってきたら、お酒を飲めば、なんだか全てどうでもよくなって、楽になれる気がする。
まあ、俺は普通だ。
これは、いま作ったお話です。
とても深い無意識で起きていること。
時に子供は、親が死にたくならないように、親の理想を生きる時があります。
時に子供は、親に愛されるすごくて1番の自分になるために、兄弟をこき下ろします。
時に子供は、親の理想を生きるためのうっぷんを、他の兄弟にぶつける時があります。
時に人は、自分の理想を自分の子供に生きてもらったり、もしくはダメな人、を身近に作ることで、自分の劣等感を見ないようにします。
時に人は、なんとなく全部分かっているけど、そうしておけば自分から離れない、支配できる、と思って依存しているようで支配していたりします。
時に人は、こういうことに巻き込まれて、1番優しくて光だったのに、なぜか毎日やる気が出なくて、死にたくなって、自分が1番ダメな奴、という幻想に飲まれることがあります。
これは、はたから見たら平和で何もかも持っているおうち、のお話。
でも、実際に本当に似たようなことがあったりする。
どこにでも、この世界が広がっていたりする。
誰もが持っている劣等感。
誰かによってそれを見なくてすんで、幻想を生きれてしまう人。(後からドカンの時があったりなかったり)
その幻想のために1番ダメな奴設定を引き受ける人。
こっちが良くてあっちはダメというお話じゃなくて。
その中で1番優しい人ほど、光である人ほど、誰の力も借りれなくて、むしろ奪われてばかりで、ダメな奴設定を受ける時がある。
優しいからこそ、魂レベルが高いからこそ。
誰かが死なないように。そして、双方が役目があり、学び合えるように。
今回こそは、気づけるように、と。
その1番優しい人が、先陣を切らざるを得なくなる。
そういうものなのです。
この人が不幸というわけではない。
一見ものすごく大変、と感じる時もあるかもしれない。
でも、伝えたいのは、幻想を生きられる人と比べたり、戦ったりするのではなく、あなたは、本当のあなたに戻っていくことが1番の近道となる。
ちゃんとしたご褒美も待っている。
だって、それくらい大変な思いをしてきたのではないでしょうか。
おわり。(え